K4yoの玩具箱

T-55と模型と落書きと鉄砲 

TR-85進捗

はい、お久しぶりですK4yoです。受験はともかく、テストが終わったので思う存分模型を弄ることができるようになりました。

Twitterでも散々進捗を載せていますが、140字縛りだと書き込める情報がどうしてもすくなくなるんですよね。推敲していると頭おかしなるで。

閑話休題。誰が見るのか知りませんが、後世に残る遺産とせんが為にTR-85の進捗を載せておきます。

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まずはこれ。車体の下部と転輪のピッチね、坦克博物館を訪れた際に撮影した96式戦車を参考に作ってみた。↓59式戦車の系譜でみると一番新しい戦車。人民解放軍の戦車はソ連はもちろん、ルーマニアとも関係があるので興味深い。是非沼に飛び込むことをお勧めする。余談だけど、この日の北京郊外は-3度の凍てつく空気と深刻な大気汚染で地獄だった。

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今更だけど、TR-85の『簡単』なスペックをば

TR-85はルーマニア軍のために開発されたMBTであり、TR-77-580をベースに1978年から1985年に開発された戦車である。

第二次世界大戦後、ワルシャワ条約機構軍がチェコスロヴァキアを侵略した後(チェコ事件)、共産主義ルーマニアは新しい国防の方針を採択したが、これには国内の防衛産業が必要だった。
1968年4月にルーマニア国防総省ルーマニアの戦車生産に関する予備報告書が提出された。この報告書は、1972年10月13日に国防総省によって批准された。
1974年5月13日に開始されたルーマニアの中戦車の開発で、国防相(省?)はこの戦車の仕様を『新戦車の重量は40トン、砲は100mm、エンジンは500馬力』とした。

次のステップは、T-55の400種類の派生型の製造が行われた。なぜなら、ルーマニアの国防産業は、戦車をゼロから設計して生産する経験が無かったためである。
ルーマニア政府はT-55のライセンス生産権を購入していなかったため、TR-77-580は結果としてT-55とは転輪やエンジンが違う戦車になる。エンジンの技術提供はクラウス=マッファイに頼むも、拒否されて結局V-55エンジンになり、車体には拡張ハウジングが設けられた。
TR-77は1974年から1980年に開発され、1979年から1985年まで生産された。

 

TR-85の開発
TR-77が開発されている間、1974年からルーマニアのエンジニアは、800馬力のMTU Leopard 1エンジンとトランスミッションリバースエンジニアリングを続けた。
エンジニアは複雑な設計の物のリバースエンジニアリングの経験が不足していたため、作業は停止した。しかし、1976年までに、Institutul National de Motoareは、Leopard 1ディーゼルエンジンに基づくエンジンを、利用可能な技術とソリューションで設計すると発表した。
また、ハイドロメカニカルトランスミッションは、Modell Hidromecanica Braşov Fabrikを基にして、ICSITEM研究所によって開発および製造され、Tブロックエンジンを提供した。
エンジンとトランスミッションは、1974年から1982年にかけて、外国の技術を使って開発された。Ion Mihai Pacepaによって書かれた『赤い地平線』によれば、ドイツのエンジン技術は、殆どソ連圏から亡命してきた上級諜報将校:スパイからルーマニアへもたらされた。

新戦車は正式にはTR-85-800と呼称され、1978年から1986年の間に開発された。エンジンの最大出力は830馬力。
ブカレストの8月23日工場のFMG部門で、1978年12月にDecree nr.514(原文のドイツ語だとDekret nr.514、命令第514番?)によって工場が設立され、この建設は1980年に完了した。工場は軍事区域であり、機密扱いであったため、入るための特別な許可が必要であった。
1983年までに、FMGの工場は年間210輛を生産することができた。 TR-85は1986年と1990年の間に年間約100輛の割合で生産された。
しかし、TR-85はすぐに機械的信頼性が低いと判明した。初期の問題には、燃料とオイルの燃費の悪さ、エンジンやトランスミッションの問題、慢性的なオイル漏れなどがあった。加えて、火器管制装置"Ciclop"は、機器の品質が悪いため信頼性が低くなっていた。
レーザーレンジファインダーは日光システムと統合されておらず、一部の修正だけが火器弾道コンピュータに挿入される可能性がある。 ニコラエ・チャウシェスクが、1982年7月に国防産業用の特殊装備全ての輸入を止めることを決めたときに問題が悪化してしまった。
ある時点で、チャウシェスクは戦車の品質が悪いために生産を完全に停止すると脅した。 そして革命後の1994年3月にはTR-85戦車を改善するためとして近代化プログラムを実行、TR-85のエンジニアが部品の修正を行い、信頼性を上げた。
初期問題の解決は、ルーマニア共産主義政権崩壊後に終わった。

以下はソース

lebendom.com

機械翻訳にらめっこして書きました...疲れた。

 

 

 

 

 

 

 

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じゃじゃん、内部はこんな感じで作ってます。資料不足でT-55Aと変わってないけど、どうせ誰も知らないので問題ないっしょw

隙間からみえる内部がえっち❤(お金が無いので室内の電飾は断念しました)

 

 

 

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そして燃料タンク、これから加工をしなければならない...

色々やらかした砲塔もなんとかここまで漕ぎつけた。

 

ではでは。