HHKBに親指キーを追加した件
半年ほど使用したHHKBに対して不満があるため、こうしてブログを書くこととなった(今決めた)。
さて、エンドゲームかと思われたキーボード探しは、実は終わっていなかった(大金を費やしたのに……)。
ある日、私はいつものようにサブ機のVoretex COREの40%キーボードを触っていると、スペースキーの分割について考えるようになった。もしHHKBにも分割されたスペースキーがあったらいいなあ、とそんなことを考えた。しかし、現実は甘くない。半分にすることなど不可能だ。私は悲しくなった。
スペースキーを押すためだけに、可動域の広い親指を使ってしまうのはもったいない。タイピングするときを考えてほしい。親指以外の指は、フルに動いているだろう。小指に至っては、エンターキーやらバックスペースキー、果てはコントロールにシフトまで操作しなければならないのだ。
親指の半分ほどの太さしかない小指に負荷をかけていては、いつか手が痛む。明らかに小指の負担が大きい。
そこで私は、親指キーボードなるものを考案した。要するに、小さな小さなキーボードをスペースキーの下に配置するのだ。人間工学的なキーボードは、得てして親指にキーが集中している。これを参考にして設計をしてみた。
材料は、プラ板(4年程放置されており、近々捨てようと思っていた)とプラモデルのランナー、それからホットボンド、ProMicro、Gateronの静音赤軸、キーキャップである。これで2000円くらいだったと思う。基幹部品以外はゴミでできている。
作業過程は退屈極まりないので写真だけ上げる。
はい完成。
切削痕が生々しい。どうせ自分しか使わないので、表面はそのままである。
次はファームウェアである。もっとも、私のようなずぶの素人でもできるようにと、偉大なる先人たちがその知識と語彙をもって、簡潔かつ的確な記事を書いてくださったために、私の苦労はほとんどなかった。
これがものの三十分でできてしまった。レイヤーもなく、キー数が五個しかないのもあって、非常に簡潔なものになった。
とはいっても、使用感が悪ければ完成させた意味がないのだ。
使用しているときの写真があった。HHKB本体のスペースキーは使用せず、親指キーボードにスペースを割り当てている。
感想としては、分割キーボード以外では最強である。明らかに小指を酷使することがなくなったし、ホームポジションから動かさずにエンター、バックスペース、コントロール、シフトを押せるのはtypoを減らすことになった。
道具にこだわりすぎて、人生において色々見失っているような気がするが、私は元気だ。キーボードの変態度も上がったが私相応だろう、多分。
ちなみに、この親指キーボードの名前はSputnik05である。もともとあるキーボードにくっつけるというところから、人工衛星を意味するСпутникを連想したので、この名前にした。うーん、カコイイ。
東プレは左右分割で親指キーたっぷりのHHKBを出してください。
余談だが、私の所有しているHHKB Professional 2は、矢印キーがないためにキーの組み合わせで操作する。一時は使いにくくて困り果てていたのだが、Sputnik05のおかげでホームポジションから動かさないようになってからは、これとIJKL式以外を認めたくないほどには楽に操作できるようになった。まあ、慣れというやつだろう。
またブログを書きたくなったら、衝動のままに書きます。では。
今さらHHKB
今更HHKBのレビューをする。
今年の初めに、中古のHHKB Pro2 英語配列 無刻印を購入した。吸振マット付きで一万円だった。2019年の終わりに新型が発売されたためか、中古市場が一時にぎわっていたのを覚えている。
なんとコイツ、十年落ちのキーボードである。十年も愛用した前ユーザの丁寧な使い方に敬意を表したい。
他の方が紹介されているように、打ち心地はコトコトといった感じだった。ストロークは深めで、配列に少々癖がある。とはいえキー数が少ないので、覚えるキーは当然比例する。私はタッチタイピングができるので、基本的には無刻印でも問題ない。記号キーが厄介だと思った。
エンターキーが小指から近いのがありがたい。バックスペースキーも小指から近いのでとても打ちやすい。Ergo Dashとは違う打ちやすさだ。
L字のMini B→Micro Bアダプタを購入し、両面テープで固定した。マグネットケーブルと組み合わせて摩耗を減らすようにした。今時Mini Bなんて、と思う方にはやる価値があるだろう。
こんなものだろうか。いいキーボードだが値段が値段なので買うのに躊躇するだろう。しかし、HHKBは値段を裏切らなかった。
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春休みが終わってしまう。のんべんだらりと過ごしていたら終わってしまう。友人に気力をなくしたら終わりだと言われたので、趣味に走りたいと思う。新学期が始まる前にはT-55Uを完成させたい。次はPT-91(第二世代)だな。
今月の食費は恐らく一万円。大学が始まれば食堂で半日分の食事を摂るのだが、春休みは空いていないので自炊だ。インスタント食品は高い。一人暮らしでインスタント食品ばかり食べる人はお金を持っている。コンビニ弁当も高くつく。まあ、美味しいんだけどね。弁当の四百円があれば友人と鍋をたくさん食べられるから、手は動かない。
部屋の模様替えをした。毎月のように模様替えをしているが、気にしない。いまこの記事を書いているデスクは非常に狭い。椅子が回らないのだが、あんがいストレッサーが溜まらない。
では。
日記
今日は十二時間くらい寝た。快眠だと思って起きたら十一時だったんだ。早めの風呂が良かったのかもしれない。
友人と劇場版ガルパンを観た。面白かった。思えば私が中学三年生の頃に上映していたな、と思って妙な感慨にふけっていた。映画館の開店二時間前に並んでいたのを思い出す。格別な面白さだった。やはり映画館で観る映画は素敵だ。
ボイスロイドが欲しい。特に用途はないのだが、詩でも朗読させようかと思っている。ゆかりさんかあかりちゃんがいい。とはいっても、そんなお金はないので買えないだろう。
自分の技能を活かせそうなバイトを見つけたのだが、面接で落ちてしまったので夏休み明けにリベンジしたい。受け答えが下手だったのは面接していて思った。精神に負荷がかかると論理的思考ができなくなってしまう。改善するのを諦めて精神に負荷がかからない生活を送ろうと思っていたのだが、これが難しい。バイトの面接ですら頭が真っ白になって逃げたくなる。本屋の店員とすら会話をしたくない。当面このままだろう。
私のストレス尺度は歯の噛み具合で分かる。歯に鈍い痛みが走るほど噛んでいると強く、軽いほど弱い。それに気づけない時もストレッサーに曝露している。思ったより私はストレスに弱いらしい。
自分の味覚
多分バカ。
嗅覚はそこそこだと思っているのだが、味覚と嗅覚は連動しているはずなので、もしかしたら嗅覚もバカかもしれない。嫌だなあ。匂いフェチの嫌いがあるのに嗅覚がバカでいいのだろうか。
家に掛け時計が欲しいのだが、未だに買っていない。引っ越してすぐ買わなかったのはなぜなのか。日がな一日スマートウォッチを着けているから必要なくなってしまった。でも欲しい。
スマホのメモに『テロルチョコ』と書いたのだが、理由が思い出せない。恐怖政治を行うチョコ。首班は多分ロベスピエール。
春休みがあと二週間ほどで終わってしまう。そういえば(この導入は無理やりだろうか)、入間人間(いるまひとま、で変換できなかったので『いるまにんげん』で変換した)はこの時期に『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』を書いたらしいね。すごいなあ、とぼんやり思ったり。羨ましいとは思わないのだが、これは言い訳がましいだろうか。小説家、あるいは小説が書けるようになるという段階に到達するまでどれだけ苦労したかと考えると、安易に羨望の感情を抱けない。おめでとう、と言いたくなる。私はどこに立っているのだろう。自分が納得できる文体とか表現とか物語に達するのって難しいんだぜ、と思ったり思わなかったり。
ちなみに、印刷標準字体の 『うそ』は『嘘』ではなく『噓』である。みーまーの本文に登場する『うそ』は『噓』だったのに、『電波女と青春男』では『噓』じゃなくて『嘘』って書かれている。『マコト』くんだから『噓』はつかないのだろうか。『嘘 』という漢字には何の意味もないらしいから、この説を推していきたい。
最近は小説のアイデアが出るのだが、いかんせん筆が進まない。思考がまとまらない感じがするので、もう少し健康になってから書こう。掌編小説をいくつか書いみたが、やはりしっくりくる作品というものは少ない。三作品書いたのだが、気に入ったのは一作品だった。
ああああああああああああああああああ♡
ブログのタイトルが思いつかない。小説を書く場合もタイトルが全く思い浮かばない。読む分にはタイトルがあったほうがいいと思うのだが、自分が書くとなると途端にどうでもよくなってしまう。『作品番号xx』みたいな感じでいいと思っているのだが、これではまるで報告書みたいだ。あるいは化物語のアニメを想起させる。
先日XDAのなんとかかんとかを弄ってみたのだが、いまいち感度が良くない。じっくり代替ナビゲーションバーを見てみると、なんと数dp浮いていた。なるほど画面の外からスワイプしても反応しないわけだ。反応する部分を増やして対応したが、本末転倒な気がしてならない。
最近、有機ELの普及とともにダークモードを搭載したアプリが増えてきたように思える。技術と人間の生活とでバランスを取ろうとする動きは世界的だ(世界的な企業がやっているのだから当然か)。技術者諸兄には感謝するばかりだ。
『シメジシミュレーション』を読んだ。
少女終末旅行とは打って変わって四コマ漫画だった。もちろん、そうでない部分もある。詩的ですっきりした作風は相変わらず(つくみず氏がどう意図したのかは知らないが、私はこう考えている)健在だ。静かな笑いが出てくる作品だった。
プーシキンの『駅長』を読んだ。駅長は愛されていたのだ。
そろそろ春休みも終盤だ。みんなはなにをしているのだろうか。バイトか勉強か。私はどちらもやってないが、旧友と遊んだり友人と遊んだ。そのたびに20キロほど歩くのはなんでだろう。